皆様、こんにちわ。
レズビアン結婚相談所2wifey(トゥーワイフィー)のコンシェルジュ恩河(おんが)です。
本日は、沖縄県で活躍する20代の画家のたけむらあいかさんをご紹介いたします。
たけむらさんは、対人恐怖症・男性恐怖症・うつ病・ガン・日本人に数名しかいないまれな病気を持ち、生まれつきDNAが女性でもあり男性でもあります。
20代という若さであまりにも多くの苦しみを経験し、そして多くの方に優しさを分け与えてきました。
たけむらさんと私の出会いは、レズビアンオフ会に参加してくださったことがきっかけでした。
お話を聞いていくと、20代とは思えない価値観や考えに触れ、たけむらさんのことをもっと深く知りたいと思い今回インタビューという形でお話を聞かせていただきました。
クリスマスにホームレスにケーキを配る、子ども食堂でボランティア、自殺願望のある女性を救う活動、夜中は注文してくれた方へ作品作り、多忙を極める個展活動。
常に、誰かの為に生きるたけむらさん。
どうして、こんなに人の為に生きることができるのでしょうか?
たけむらさんの人生から、あなたの人生の生きるヒントが少しでも、見つかると幸いです。
今回、お名前・顔写真はご本人の承諾を得て公開しております。
前半・後半の2記事でご紹介させていただきます。
それでは、どうぞ御覧ください。
壮絶な幼少期・育児放棄と暴力の日々
私の人生はかなり壮絶なんですけど、いいですか?(笑)
隠すことはないのでお話しますね。
私は1、2歳から育児放棄されていました。
両親はいつも家にいなくて、仕事はせず借金で生活している状態でした。私は家に一人で赤ちゃんの頃から一人で泣きつかれて寝るという感じでした。
さらに、父親からの殴る蹴るの暴力もあって、それは高校生まで続いていました。
私には3人兄弟がいるんですけど特に、弟はボコボコの状態で、服も壁も血が着いている状況でした。
3番めの弟は可愛がられていたので、その弟だけは暴力はありません。
私は、学校に行くと先生にもいじめられていました。
理不尽にビンタされたり、太い国語の教科書の門で頭をたたかれたりとか。
ことごとく小・中・高とあたる先生が本当に悪くて、逃げ場を求めておじいちゃんの家に行っていました。
Q たけむらさんは、相談できるお友達はいましたか?
友達は少ないけどいました。でも遊ぶ理由がないというか。。
門限も厳しくて、一分でも超えると蹴りとばされるから。あまり友達とは遊べませんでしたね。
そういうこともあって、私は友達の作り方がわからなくなったんです。
だから今も友達はいません。
認知症の祖父母の介護の日々
おばあちゃんは現金主義で、誕生日プレゼントも現金を欲しがったり、おじいちゃんの年金で金やブランドを買う人でした。
おじいちゃんは私を三越のギャラリーに連れて行ってくれました。無償の愛を教えてくれたのが、唯一おじいんちゃんだったんです。
でも、私が二十歳くらいのときに二人は認知症になりました。
おばあちゃんは被害妄想がでたり、起こるタイプの認知症で、おじいちゃんは物忘れをするタイプの認知症でした。
そのうちおじいちゃんが足腰悪くなって弱り始めた時に、おばあちゃんがおじいちゃんにDVをするようになったんです。
おじいちゃんは「死にたい」「早くお迎えこないかな」と私に言うようになりました。
それで私が少しでも二人を話す時間を作ったほうがいいと思い、地域包括センターに相談に行きました。
私もものすごく仕事が忙しい中、ケアマネージャーさん達との会議に参加して、一年ぐらいかけてやっと介護認定が受けられるようになりました。
私以外の家族は誰もおじいちゃんおばあちゃんと関わりたくないと一切、何もしてくれませんでした。おとうさんも「勝手にしれくれ」と心配する様子もありません。
だから、私が何年も毎日二人の家に通い、様子を見に行っていたんです。
やっと、デイサービスの体験におじいちゃんが通えるようになってケアマネージャーさんから「おじいちゃん生き生きしていたよ」って聞いて本当に、すごく嬉しかったんです。
あの日に戻れたら
その矢先に、おじいちゃんが首吊り自殺をしました。
私は毎日毎日おじいちゃんの家に通っていたんですけど、この日だけ仕事でどうしても行けなかったんです。
だからずっと「私がその日行っていれば」って引きずっています。
おじいちゃんとばあちゃんはその日大喧嘩していました。
おじいちゃんはずっと「今日あいかは来ないのか?」って0時まで起きて言っていたそうです。
朝おばあちゃんがおじいちゃんが起きてこないから二階に上がって、様子を見に行くとおじいちゃんが窓で首を吊っている姿を発見しました。
救急車に乗るのも、お父さんやおばさんは「関わりたくない」と乗らず、私とおばあちゃんが乗りました。
救急車で30分心臓マッサージしても助かりませんでした。
実はこの話が去年の話なんです。
これまで、何年もおじいちゃんに費やしてきた時間をボランティアする時間に当てているんですよ。
今は、おばあちゃんの様子を見に通っています。
おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなった原因ではあるかもしれないけど、私にとってはたった一人のおばあちゃんだから。
自殺すると地獄に落ちるってよく聞くじゃないですか?
だから私はおじいちゃんを地獄から引っ張りだせるくらい、良いことことをたくさんしようと思っているんです。
私はおじいちゃんのために良いことをたくさんして、生涯終えようって。
それもあって、ボランティア活動をしているんです。
両親とは絶縁状態
私は今親とは連絡はとっていなくて、縁を切っている状態ですね。
弟二人はまだ家にいて、弟も子供が好きで今専門学校にいっています。しょっちゅう喧嘩はしているみたいですけど、暴力はないので大丈夫みたいです。
両親は、弟が卒業したら離婚するみたいですけど。
作品は本当に必要な人に届けたい
カフェで個展をするときには、作品に料金は決めません。ボックスを用意していて、欲しい方に希望の料金とメッセージを書いて箱に入れてもらうんです。
たとえ8万円で作品の購入を希望した方がいても、なにもメッセージを書いてなかったら、私は3千円でもメッセージで思いを伝えてくれる方に譲っています。
個展を開催するときはカフェに売上の10%程度をお渡しするので、こういうやり方でよく怒られるんですよ(笑)
後編へ続く
前編はたけむらさんが「人の為に生きる」意味がわかる前半のお話でした。
大好きな祖父から受け継いだ無償の愛を、今はたけむらさん自身ががボランティア・作品を通し、無償の愛を注いでいます。
後編では、さらに深くたけむらさんの画家になったルーツ・子どもたちに対する思いをお伝えしていきたいと思います。
【LGBTQインタビュー後編】たけむらあいかの生きる意味。感謝も見返りも求めていない。
たけむらあいかさんについてはこちらを御覧ください。
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