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LGBT婚活 元看護師

③岡山県ってどこ?ホームシックな正看護学校生活

目次

こちらの続きです。読んでいない方は先に読んで下さい(^^)

 

①大家族、酪農、看護師を目指したルーツがここに

②最悪な塾の思い出、2年間准看護師の養成学校

 

 

全く知らない岡山県に進学することに

 

沖縄県で正看護師へ進学できる学校は2箇所しかありませんでしたが、はい、また受験失敗。

また受験に失敗して、友達とも離れ離れ。また最悪な気分でした。

准看護師として働いて、来年に向けて受験勉強するつもりでいるとそれはだめだと両親は反対。

お母さんが看護学校の本を開いて「あ行」にあった岡山県の正看護師養成学校を受験するよう言いました。

沖縄県から出たことがない私は、当時どこにあるかもわからない岡山県に住むことが全く想像できなかったし、せめて家族や友人が遊びに来てくれそうな東京や大阪に行きたいと言いました。

もちろん、即却下されました。

何度も受験に失敗し、親に心配もお金もかけてもらった。

そんな私を進学させてくれると言ってくれているので、贅沢やわがままは言えません。

私に選択肢はありませんでした。

そして仕方なく、両親の言う通り岡山県の学校を受験、合格しました。

20歳で初めて一人で飛行機に乗り受験しに行った時、大人になったような気がしました。

初めて一人で乗る飛行機、一人でホテルに泊まり、セブンイレブンで買ったお弁当をホテルで食べて、とても美味しかったです。

昨日までの自分とは違う、自分はこれからどうなるんだろうと未来が楽しみになりました。

「受験に失敗したけど、そのおかげで今がある」高揚した気持ちになりましたね。

沖縄を出てひとり暮らしが楽しみになり、新生活がとても楽しみになりました。

 

 

 

4畳半の恐怖の寮、ホームシックの毎日

 

岡山で初めて土手を見ました。沖縄にはありません。

ドラマで見かけたことがある大きな川、土手を自転車で走る人たちをみて感動しました。

 

岡山での学校生活は平日は毎日4時頃まで授業でした。

その後、施設で准看護師として準夜勤のバイト(17時〜1時位までだったかな?)をしながら学校に通いました。

学校もバイト先もとても近く、自転車で5分もかかりませんでした。

バイト先の寮に1年間入りましたが、なんと築50年くらいのボロボロで、一部屋4畳半の広さで冷蔵庫、布団、机をおいて、カーテン代わりに部屋に洗濯物を干しました。

ドアのわずかな隙間からムカデのような虫、ゴキブリが侵入することもあり、虫が大嫌いな私は本当に恐怖でした。

キッチンはあるけど恐ろしいくらい古く汚く使える状態ではありませんでした。

狭く、暗く、怖いので使う人は誰もいませんでした。

その隣りにある「多目的スペース」という古くて怖い、なにもない、恐ろしい小部屋がありました。

寮に入ったとき、一度だけ両親と中を覗いて「絶対、幽霊いるよ怖いね」と話して以来ドアを開けたことはありません。

あそこには、昼間でも幽霊がいるに間違いありません。。。

 

本当にそんな雰囲気の部屋でした。

私は、今までの幸せだった沖縄の環境との違いに、ストレスを感じてまた蕁麻疹がでました。

その頃からもうムヒエスが友だちで、痒くなったらすぐ塗れるようにいつもムヒエスを持っていました(笑)

大きな家、温かいご飯、友達、家族、車。週末の予定。

今まで当たり前のようにあったものが無くなり、土日はやることもなく寮でTVを見つめるだけの辛い日になりました。

当たり前のように海に集合していた日々、コンビニの前でたむろしてお喋りしたり、集まってカフェで勉強したいたあの生活がなくなり、私は今まで当たり前にあった「予定」や「約束」といったものが欲しくてたまりませんでした。

心にぽっかり穴があいてスーパーホームシックで切ない日々が続きました。

正味、卒業するまでの2年間はホームシックでした(笑)

自分の居場所がない、沖縄に帰りたい、居心地の悪い感じがずっとありましたね。

毎日沖縄に帰りたくて、口を開けば「帰りたい」でした。

「どうして自分は一人ぼっちでここにいるんだろう」

「東京や大阪に進学していたらどうなっていたのかな」

「あの時受験に成功していれば。。」

私のことを思って、進学させてくれた両親に感謝する一方。

こんな寂しいところに私を置いやり、私の話はいつも聞いてくれない、親に対して反発心が膨らんでいきました。

そんな気持ちは余計に私の自己肯定感を下げていき、いつのまにか4畳半の部屋の中で過ごす自分自信のことが嫌いになっていきました。

 

 

 

岡山で得た宝物

 

そんな私も、友達ができてだんだん楽しい生活を送れるようになってきます。

薄い壁の隣の部屋にすんでいた奄美大島から出てきた2歳年下の女の子と出会いました。

笑顔で挨拶してくれてうれしかったです、第一印象はとても良かったです。

「こんなありえないところで、生活が始まるのになぜ笑えるのか」と当時の私には不思議でもありました。

この子とは島育ちという共通点もありすぐに仲良くなりました。

明るくて、元気で、とにかく面白くて、私に希望の光をくれた友達です。

自転車にのって、土手を走り、電車にのっていろんなところに出かけました。

岡山での生活を振りかえった時、この子なしでは何も語れないくらい、一緒に過ごしました。

沖縄では見たことなかった桜が舞い散る景色を一緒に見て、感動しました。

なにかあればすぐに家に行き、悲しいことも笑い話しに変わって行きました。

自転車で二人の大好きなパン屋さんに行くことも大好きでした。

 

その子とは大人になり、離れ離れになった今でも連絡を取り合い、他愛のないLINEをします。

お互いの恋愛事情も良く知っています。

本音を話せる親友と呼べる存在です。

私が岡山に行った理由はこの子に出会う為だったと言っても過言ではありません。

人生で親友と呼べる人に、そう多くは出会えません。

一人か二人というところではないでしょうか。

そんな存在に出会えたのも、私の両親が岡山に強制的に送り出したからです(笑)

この子との出会いもあり、岡山に私を導いてくれた両親にも感謝することができました。

 

 

続く

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