皆さんこんにちわ。
沖縄は梅雨も開けて、本日も晴天です。
気持ちのいい風を感じながら掃除、洗濯終わらせて、いまPCを開いています。
本日は私、onga yuumiについてのお話をします。
LGBTの当事者でもない私がなぜ、この度沖縄県のLGBTのみなさまの婚活応援をするのか。
今までは何をしてきたのか、お前は何者だ?と思っている方もいるかもしれません。
皆さんに、私のことを知ってもらいたいので私のお話をしますね。
大家族に生まれた次女
私は小さい頃、10人以上の大家族で育ちました。
私は5人兄弟の次女として生まれ。家にはおじー二人、おばー二人ずついました。
ひーおじーさん、ひーおばーさんのことを我が家では「大きいオジー」と「大きいオバー」と呼んでいました。
おじーと、おばーのことは「小さいオジー」、「小さいおバー」と呼んでいました。
酪農をしており、家で乳牛を50頭近く飼っていました。
牛小屋が遊び場でした。
大家族でにぎやかで、とても楽しかった思い出があります。
今振り返れば両親は子育てに、牛育てにもう大変だった思います。
両親を本当に尊敬します。
大きいおばー
牛も育てないといけない多忙な両親に変わり、よく一緒に遊んでくれるのはおじーとおばーでした。
学校から帰ると、おじーおばーがいる、いちばんじゃ(沖縄の人は分かるよね?仏壇の前のリビング的なところです(笑))にすぐ行きました。
おじーとおばーはよくいちばんじゃで過ごしており、テーブルにはお茶と黒砂糖がありました。
お喋りだったおばーは、小学生低学年の私によく泣きながら戦争の話をしてくれました。
子供ながらに戦争は怖い、人を傷つける、とても悲しいものだというものがインプットされました。
中身はあまり覚えていませんが、とても悲しい気持ちになった感情を覚えています。
どんな話でも、おばーの昔話を聞くことが大好きでした。
おばーは怒ると「ヤーチューするよ」と言って、ろうそくの蝋を垂らされたこともありました(笑)
沖縄では「メーゴーサーするよ」「ヤーチューするよ」と言う言葉がありますよね。
蝋が垂れると、一瞬「熱い!!」となりますが、火傷はしなかったと思います。
きっと、今の時代でヤーチューすると虐待ですよね゚ヽ(`Д´)ノ
そんなことも全部、今では大切な懐かしい思い出です。
おじーとおばーは肩がこると言っていたので、肩をもんであげると、「とっても気持ちいい」「あんたが一番上手」「ありがとうねー」と喜んでくれました。
おじーおばーの嬉しそうな顔を見たくて、褒めてもらいたくて、よく肩もみをしていました。
大きいおじーの話し
おじーはものすごく無口で、何を話したかあまり覚えていません。
私のお母さんが言うには、家族やお母さんともあまり話さず、私達孫とは会話していたそうです。
おばーはものすごくお喋りでしたが、おじーはものすごく無口でしたね。
牛小屋の仕事をしたり、工事をするおじーを追いかけていました。
糸満のホームセンターに連れて行ってくれたり、遊んでくれて、優しいおじーのことが大好きでした。
両親は多忙だったので、よくおじーに「いとまんいきたいー!お願い連れてってー」とお願いしていたことを覚えています(笑)
そして、よくおじーは口笛を吹いていました。
私はおじーに教わったのか、私も小さい頃よく口笛を吹きならして歩いていました。
孫たちを大きな存在で包んでくれるおじーのことが大好きでしたね。
看護師をめざしたルーツ
私は、約10年間看護師として病院で働いており、つい最近退職しました。
なぜ私が看護師を目指したかというと思い返せばそのルーツは子供時代にありました。
おじーおばーが大好きだったので、年寄と一緒に毎日いたいという思いから、将来の夢は看護師になると決めていました。
実際のところは、勉強嫌いで、理数系が大の苦手でした。
おじーおばーと一緒にいたい、年寄りと遊びたいのが一番の理由だったので難しそうな看護師は絶対嫌だと思い。。
高校の進路相談では介護士になると言いました。
でも、母親と先生に介護士は反対されて「介護士の仕事は看護師もできるけど、看護師の仕事は介護士はできない。絶対看護師だ」と言われました。
勉強が大の苦手だったけど、将来仕事の選択肢を広げるために看護師になることにしました。
看護師になるまでにも、色んな困難がありましたがどうにか無事に看護師の国家試験に合格しました。
続く。。